ピーポロ乗鞍の歴史を振り返ってみましょう。(資料不足のため、かなり端折っての歴史探訪となります。ご来館頂いた方には少々の思い出を、そうでない方には予備知識?としてご覧いただければ幸いです。
【ピーポロ乗鞍の誕生】
昭和44年12月、ピーポロ乗鞍の前身「山荘旭」(さんそうあさひ)がオープンいたしました。
以下は建築時の写真です。
【地鎮祭の様子】
昭和44年。8月頃であることは乗鞍岳の残雪から推測できます。
【棟上式】
平成の改築(平成11年)によって無くなってしまいましたが、当館のシンボルであった「とんがり屋根」が出来つつあります。
【当館東側より】
撮影したカメラがある位置に新館が建ちました。
母屋の下、一階の壁の張っていない柱あたりが現在のロビーになります。
【当館玄関前】
向かって右側の木々は今なおそこにあります。
増改築を繰り返した当館ですが、玄関の屋根の形はおおよそ当時のままです。(多少延長しましたが・・・)
山荘旭の完成です!!
もぅ見たまんま山小屋です。
【ピーポロとは、なんの意味?】
ご来館いただいたお客様より、よくご質問いただきますこの問題、私(現社長)の知っている限りでお答えいたします。
まず、辞書を引いても出てこないのは当然として、よく似た言葉に「ピープル」があります。これは、人々という意味ですが、この言葉の意味をそのまま頂いて、次にアイヌ語の「美幌」(びほろ)を持ってきます。これは「広く、美しい所」という意味らしいです。この意味もそのまま頂いて、ピープルと美幌を混ぜ合わせるとピーポロが出来上がるわけです。意味も二つあわせれば「広く美しい所に集う人々」となるわけです。ちなみに、「広く美しい所」は、当館ではなく、乗鞍高原のことです。
【どうして山荘旭からピーポロ乗鞍になったのか?】
これも、若干の推測を交えてお話ししますが、そもそも、ピーポロとは屋号として付けようとした名前ではなく、とある会の名前なのです。その名も「ピーポロ会」、身も蓋もなくそのままですが、この会は、当館会員のための会なのです。
少々長くなりますが、先代の社長が、北アルプスの山小屋の荷揚げの仕事をしていた頃、東京の学生さんと意気投合し、山小屋建築計画を話しました。その時にその学生さんが、「会員制にして入会金を募り、それを頭金にして建築すればいい」という、まさにバブル期のゴルフ場建設と同じプロセスの話をしてくれたそうです。その話を実行し、学生を中心に会員を集め、無事山荘旭は完成いたしました。そしてピーポロ会も発足いたしました。
さて、会員さんは、避暑にスキーにと当館をご利用くださり、また、学校の後輩に当館を紹介してくれたおかげで毎年学生さんのいる宿となり、山荘経営のお手伝いもしてくれたため、ここに「番頭」というシステムが生まれました。早い話が居候ですが、この番頭さんが、そろいのスキーウェアーに身を包み、平日のゲレンデを滑っていたため、よく目立ち、いつしか「ピーポロの~」と言えば当館の~と言う風に地元で解釈されるようになりました。更に当時、仕入れと送迎用に購入したバンにでっかく「ピーポロ」とロゴを入れてしまったのが決定打でした。
その頃の当館の名前は「山荘旭ピーポロ」でしたが、日本観光連盟に加盟する時、「屋号が二つあるのはおかしい」と言うご指摘を受け、「ピーポロ乗鞍」として加盟する事としました。
【山荘旭の看板】
下に小さく「ピーポロ」と入ってます。
同じ看板ですが、「ピーポロ乗鞍」になっています。(見えづらいですけど)
これが「ピーポロウェアー」です。(通称ピージャン)
バックに「PEEPOLO」のロゴが入っているため、乗鞍高原では、誰が見てもピーポロの人間だということがわかりました。
この他にも何年かおきにウェアーを作りました。
これが決定打となった「ピーポロ号」です。
この他にも、館内の写真などの資料がありますが、肖像権の問題等あるかと思いますので、それらがクリアーになり次第掲載したいと思います。(お酒飲んでる写真ばかりですから・・・)